若手医師と商社マンが最強を目指すブログ

平成生まれの帰国子女である3年目医師と4年目総合商社マンがそれぞれの最強への道を虎視眈々と狙う

大学院に落ちた医者には、何が待ち受けているのか

それは唐突であった。

関東のとある大学病院の某内科医局に所属している知り合いから、下記のLINEが届いた。

大学院落ちたわw 

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大学院というのは、医学部を卒業し医師免許を取得し、初期研修を終え、そこからまた暫く臨床医として活動した後、主に研究の目的で入学し博士号を取るために通う場所である。所属医局の大学院に進むことが多い。

大学院に進学するに際して、試験(院試)を課す場所がほとんどのようだ。僕は実際には試験問題は見ておらず口頭で試験内容を聞いただけであるが、それは驚くほど中身の薄いものであった。詳細についてはプライバシー保護の観点から、この場に記すのを避ける。

基本的に受験者のすべてがほぼ自動的に合格するのが慣習なようだが、最近は安定志向の若者が増えていることもあり、大学院受験も難化しているとのことである(実際に彼も落ちた)。

 

医者の大学院生活に関して記す。 

晴れて大学院生になった後は、3−4年間研究を続けることになる。近年は若手医師は医局に所属する人が減ってきているので、あまり大学院に行く人は多くない。詳細は後述するが、学位を持っていても、基本給が上がるわけではないし、箔付けに多少効果がある程度である。

大学院に進むと基本給はほぼ0となり、逆に授業料(私立であれば年間100万円程度)を支払うハメになる。大学院生になる医者の年齢は、卒業後3−10年目(20代後半30代前半)がほとんどであり、所帯を持っている人も多い。収入が0では生計が立てられないので、研究の空いた時間に夜間・休日バイトを定期的に行い、それを収入源とするのが一般的だ。無論、大学院に給料が上がることを期待して進学する人は通常は居ないし、医者のバイト代はとても高い

3年間の院生生活を終え、論文が受理されたら、めでたく医学博士となる。医学博士号自体は、じつは大学院に進学しなくても取得可能であり、これは俗に論文博士と呼ばれている。しかし、論文博士と正規の博士号には扱いに微妙に差があり、箔付けパワーは論文博士のほうが劣る。これは旧帝大などの権威思想の強い医局で、講師以上に昇進する際の条件を正規の博士号に限定する、というところが少しあるというようなもので、瑣末といえば瑣末な話だ。

その後は「お礼奉公」という名目で薄給の病院行かされることが多々ある。世の中には医者にとって仕事が面白くない病院というものが存在し、例えば以前の記事で紹介した日進月歩する標準医療とは程遠い、くたびれた偉そうな顔をするロートルたちが、ただ踏ん反り返っているような病院である。そういった場所で医者をやっていても、医者としての仕事力は全く向上せず、やりがいもほぼ感じない。

なので、普通の感覚ならそういった病院で働きたくないのが人情なのだが、たまたま自分の大学病院の医局がそういった病院も支配下に置いている場合、教授は手駒の中から誰かを派遣しなくてはならない。そこで白羽の矢が立つのが、大学院を終えたばかりの医者である。大学院に行かしてもらったお礼の名目で働く(奉公する)、つまりお礼奉公だ。

 

さて、大学院に落ちてしまった彼の話に戻ろう。

大学院に落ちたら、恥ずかしくて、そのまま同じ医局に在籍し続けるのは困難だと思っていたのだが、意外にも彼はそのまま継続して所属するという。医局の駒としてしばらく支配下にある市中病院(お礼奉公で行くような病院ではなく、もっとまともな病院)で働くつもりだそうだ。そのような忙しい職場でトレーニングをし、開業準備をすると言っている。当然お礼奉公はせず、これまでと同様に臨床のスキルアップを目指すらしい。また、幸い彼にはこれまで勤めた病院での修練で、多少の専門的スキルを身につけており、それらを売りにして他病院で比較的割のいいアルバイトも行えるようだ。

医局内での昇進以外、ほとんどキャリアに影響しない学位に翻弄されるより、今回大学院進学に失敗したことで、その未練をスッパリ切ることが出来た。これからは学位にとらわれずに、シンプルに自身のスキルアップや日々の生活の質の追求に邁進する。

そう、力強く話していた。

 

博士号とは足裏の米粒」と良く言われる。

曰く、必ずしも取る必要はないが、取らないと気持ち悪い、という意味である。

彼の今後の活躍に期待したい。