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若手医師と商社マンが最強を目指すブログ

平成生まれの帰国子女である3年目医師と4年目総合商社マンがそれぞれの最強への道を虎視眈々と狙う

なぜ日本の医療は、これほどまでに診療レベルに差があるのか

どうも達也です。

前回の記事でも紹介したが、僕の懐事情は圧倒的なマイナスとなっている。そこで、医者としての実力を磨く目的と小銭を稼ぐために、休みがある日には医者バイトを行っているのは、以前からお話しさせていただいている。

そうして数カ所の病院に勤務してみたわけだが、そこでよく言われた言葉がある。特に地方で顕著だったのだが、バイト先の医療スタッフに「すごい優秀な先生が来た!」って驚かれることが非常に多いのだ。

僕としては、僕自身は「どっちかといえば優秀だが、そんなに突き抜けてもいない」と自己評価していたので、ごく普通の対応をするだけで、このように言われることにとても驚いた。

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いろいろな勤務先で、さまざな初期研修医から、医者歴40年のベテランとも接する機会がたくさんあった。この経験を通し、ある結論を出した。

それは「現状では日本の医療には、診療レベルに思ったより大きなギャップがある」ということだ。そして、ふと疑問に思った。日本の医療に、質を担保するシステムはあるのだろうか?と。今回はこの件に関して考察してみたい。

 

理想の医療「標準医療」とは何か

まずは、良い医療とは何か、ということを考えてみたい。結論から言うと、医学的な側面のみを考慮するなれば、ベストの医療は「標準医療」である。

「標準的な医療」と聞くと、あまりピンとこないかもしれない。実際に、現場でも誤解されがちである。標準医療を「程度の低い医療、工夫のない遅れた医療」と考えるのは間違いである。標準医療とは、現段階において、様々な研究結果を統合した結果、ベストと考えられている治療のことを指す。

なので例えば「お金がたくさんあるので、標準治療よりも良い医療を提供してください」という願い出があっても、標準医療の定義が「現段階でベストと考えられる治療」のことなので、それ以上お金を積まれても、何もすることはない(治験もあるが、これも金は関係ない)。

標準医療は常に日進月歩である。科学的にインパクトのある研究が出た場合、場合によっては治療内容が180度変わることも稀ではない。標準医療を提供し続けるには、常に勉強と自己研鑽を行う必要があり、かなりの努力が必要であると理解してほしい。

そういう意味では、どれだけ他の人と同じような標準的な医療が提供できているのか、もし標準から外れるのであればその論理的な理由づけは妥当か。そこに、医者仕事の医学的側面の巧拙があると言えるだろう。

臨床医に、独創性は求められていないのだ。

 

ダメ医療が提供された場合、実際患者にどの程度デメリットがあるのか

僕もそれほど多くの病院での勤無経験があるわけではないが、その数少ない経験に照らし合わせて見ても、10年前の治療を堂々と提供するダメ病院もあれば、常に海外の文献と日本の現場での経験を組み合わせ、標準医療を提供するため努力し続けている素晴らしい病院もある。その提供される医療の病院間でのギャップの大きさは、実際には医療関係者にしかわからないだろう。

そして、世の中にはびこる病気の99%ぐらいは、ちょっと間違った医療をするだけでは治り方が変わらないのも、重要な点である。

例えば、風邪やインフルエンザに特別な理由がないのに抗生物質を出すのは、標準医療としては明らかな間違いではある。しかし別に風邪に抗生物質を出しても風邪は治るので、患者本人はそのデメリットに気づかない。まあ実際には、不要な薬剤アレルギーのリスク、腸内細菌が乱れて下痢が起きる、耐性菌の出現、といったちゃんとしたデメリットは存在するのだが、それらもほとんど起きないので問題にはなりにくい。

また、仮にデメリットが起きたとしても、患者がそれを「標準医療から外れた医療を提供されたため」と考えることは、ほぼあり得ない。多くの場合、病気になることは患者にとってレアイベントであるので、比較対象がないのだ。下痢が起きても「こんなもんかな」と思って終わりである。

現代の標準医療に照らし合わせて、遅れてたり間違っている医療を提供するデメリットは医学的にはあるのだが、マイナーだったり分かりにくい、というのが僕の感想だ。 

 

医療訴訟に関して

患者に重い障害が起きたり、亡くなってしまった際、患者や家族がその結果に納得していない場合は医療訴訟に発展するケースがある。そして医者の診療内容が論点としてあげられた場合、その内容の是非を評価するのは、外部の医者になる。その時に、いかにその提供した医療が、今日レベルの標準的対応に近いか、そこがポイントとなる。

つまり、そういった訴訟リスクを考えると、標準医療を提供する努力は、どの医者も当然行うべきだと考えられる。

 

しかし、訴訟大国アメリカにおいて、訴訟問題に関する興味深い報告がある。

医療訴訟につながる場合で最も多い根本原因は、「患者や家族とのコミュニケーション不足」が圧倒的であるというのだ。そこでは、「提供された医療の妥当性」はあまり関係ないとのことだ。医療訴訟を回避する上で一番大事なのは、患者や家族に恨まれないようにする徹底した根回しなのだ。

またこれは想像だが、ホメオパシーやヘンテコ免疫療法などに代表される、代替医療が訴訟になりにくいのは、患者関係が良好なことが多いから、というのもあるのかもしれない。

 

医者が、診療技術を磨くインセンティブはあるのか

ところで、訴訟が起きなかった場合は、変な医療が提供されていないか他の医者がチェックするシステムは無いのだろうか。

基本的に医者は、大きな問題が起きない限り、他人の診療に口出しすることはない。つまり、医療の妥当性をチェックする機構は(僕が知る限り)ない。問題にとして表出するときは、それこそ裁判沙汰になったり、家族がキレたりした時に限られるのだ。ちなみにアメリカではPeer Reviewという、同僚が診療内容を相互チェックするシステムがある。

 

では、金銭はどうだろうか。優れた医療を提供すれば給料が上がり、ダメ医療を提供したら給料が下がる、というシステムは誰もが考えつくだろう。

しかし、これも余り期待できそうにない。医者の収入に一番大きな影響を与えるのは勤務形態である。開業で平均3000万弱、勤務医は1500−2000万ぐらいである。勤務医の場合、給料は当直回数とポストで決まる。ポストはほとんどの場合年功序列だ。

ちなみにに医者バイトも、勤務の日程や時間で給料が決まっているので「いい医者」でも「悪い医者」でも、収入は変わらない。それは以前以下のエントリに記した。

ダメ医療を提供したらそれにより給料が下がる、みたいなことは(少なくとも僕が知る限りでは)ない。開業医に関して言えば、診た患者の数と薬や検査の処方数によって収益が増えるので、逆効果の可能性が高い。

日本の医療では、より良い医療へのインセンティブは、就職先の雰囲気と個人のプロ意識。それだけである。

 

それでも日本の医療は回っていく。初期研修はちゃんとしたところで

以上の議論から、医者が診療技術を磨くこと自体の拘束力は、非常に弱いことがお分りいただけたと思う。しかし、日本人は元来真面目なので、このような個人の努力に大きく依存したシステムでも、プロフェッショナリズムに基づき陰口や不満を漏らしながらも、それなりに妥当性のある医療が全体としては提供されて来た。

そしてこの構造からわかることは、卒後1、2年目という、医者としての基礎を学ぶ時に、職業倫理の緩い職場や、間違った医療を平然と行う場所に違った診療態度を身につけてしまうと、それがその研修医のスタンダードとなってしまい、ダメ医者真っ逆さまになってしまうということだ。

実際に問題も起きている。有名なのは、効果が保証されない代替医療を、末期がんの患者に提供し、多額の収入を得ているようなクリニックだ。最近はメディアで取り上げられ、あまり表には出てこないようになったが、最近ではターゲットを中国人に代表されるアジアの富裕層に移している。

 

「突出した実力を身につけても経済的には報われないが、それでも最低限の医療できないと、世の中が困るよ」というのが、僕の暫定的な答えである。