若手医師と商社マンが最強を目指すブログ

平成生まれの帰国子女である3年目医師と4年目総合商社マンがそれぞれの最強への道を虎視眈々と狙う

放任主義の職場は成長につながるか

医師のTatsuyaです。

社会人になって最初の一年が大事。仕事人としての成長は最初の3年のスタートダッシュで決まる。みたいな話をよく聞く。おおくのおっさんが口をそろえて言うので、そうなのだろう。医者の場合はどうだろうか。

医者になって最初の2年間は「初期研修医」という身分になる。

この間は、内科・外科・産婦人科・小児科などを、2-3ヶ月の比較的短い期間でローテーションし、オンザジョブトレーニングを行う。この初期研修の目的は、医療全般に関してある程度の知識を身につけ「自分の専門分野以外のことは全然わかりまてぇーんという医者を減らそう」、というのが狙いだ。

初期研修を行う病院は、基本的には全国どこの病院でも自由に選べる。受け入れ側の病院は「研修指定病院」をいう認可を受ける必要があり、その基準にはベッド数、標榜科の種類、在籍する医師の数など、ある程度の規模が求められる。そこら辺の開業医が初期研修先として研修医を募集する、ということは出来ない。医者の就職事情は、受け入れ枠>>研修医数なので、基本的には売り手市場だ。

医学部を卒業したら、出身大学の大学病院で行ってもいいし、全然自分にゆかりのない地域の市中病院に潜り込んでも良い。無限とも思える選択肢を絞り込むため、医学生は5年生ぐらいになると初期研修先を決めるため、いろいろな病院へ見学へ行くようになる。初期研修先として職場を選ぶときの決め手になる要素は様々だ。給料が高いとか、QOLが高いとか、将来のキャリアに繋がりやすか、などなど。

今回はその中でも、仕事場の初期研修医の裁量に関して、フォーカスを当ててみたい。研修病院は、「放任主義の病院」と「逐一チェックが入る病院の2つ」に別れる。そのどちらが、医者の最初の2年間という重要な時期を捧ぐにふさわしいのだろうか。

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市中病院

幅広いバラエティの患者数多く診る、というのが目標であれば、やはり市中病院にはかなわないだろう。もともと患者を診るために作られた施設であるので、立地や内部の医療システムも、多くの患者をケアすることに主眼が置かれている。最適化が進んでいるのだ。

また患者の数に比べて医者の数が少ないので、各々の医者の裁量は必然的に大きくなる。具体的に言うと、若手が患者の治療方針を責任を持って決定する機会が多くなるのだ。自分でディシジョンメイクを行うことが、一番の成長につながることに疑いはない。そういった面では「忙しい市中病院」が自分の成長に向けてベストの選択になる。

ところで市中病院も、クソ暇だが、田舎で給料がメッチャ高い病院というのもある。そういった「忙しくない市中病院」は、人的資源の問題で、きめ細やかな指導が不可能な環境であることが多い。また、担当できる患者の数や患者層の幅も狭く、広く自分の能力を向上させると言う初期研修の目的にはそぐわない。借金地獄に喘いでいるとか、全然働きたくないでござるとか、特殊な場合を除き積極的に選択する理由は見当たらない。 

大学病院

大学病院には「稀な疾患を待つ特殊な患者が」「とっても少ない数来る」ので、初期研修の目的には全くと言っていいほどフィットしていない。おまけに給料も安い。基礎研究にどっぷり浸かりたいとか、教授になりたいとか、格別の理由がないのであれば、候補から外すのが懸命だろう。

さらに、大学病院では、医者が余っているので、若手や初期研修医が一人で責任を持って決断を下す、と言う作業がしにくい。部下のマネジメントを主体的に行っている上級医も少ない。そういった上級医は、年次が上がっただけで自動的に部下がついてしまい、「ほんと使えねえ部下だ」と愚痴を言いながら雑用を押し付けてくる。駄目なマネージャーの巣窟である。

しかも、大学病院の研修医は驚くほどモテないQOLの観点からも避けるのべきだ。

医療はうまくいってるかどうか、がわかりにくい

現段階でベストな医療プラクティスは標準医療であるという記事を以前書いた。

「自分の成長=正しい医療を提供出来るようになること」と定義してみる。

自分で仕事をする→失敗→患者に不利益が起こる→セルフフィードバックをかける→改善。このシステムがあれば、逐一他の医者からチェックしてもらわなくても、どんどん診療能力が改善するはずだ。

しかし、医療現場では、このサイクルで一番重要なフィードバックシステムが働きにくい。なぜなら「患者に不利益が起こるとか売上が下がる」といったネガティブなイベントが、医療現場では起きにくいからだ(正確には、起きているのだが自分には直接的に返ってこない)。

外来で行った医療が果たして「良い医療」だったのか、実はそれは医者本人にはなかなかわからない。何故なら、外来で見ている病気はほとんどが勝手に治る病気であり、すぐに死んだり大きな問題が起きる病気は極めて少ないので、テキトーな治療を行っても(目に見える)問題が起きないからだ。また、100点の医療を行っても60点の医療を行っても、患者は医者の能力に関して、接客能力しか良し悪しを判断する材料がない。 同様に、入院患者の治療も、周りや一般的な医療パフォーマンスと比較して、自分の治療方針がうまく行ってるか、と言う把握は非常に難しい。

 医療者は常に「自分は間違っていないか。もっと良い方針はないのか」という自問自答と自己研鑽が求められるが、それだけでは限界があるように思う。医療の良し悪しに関しては、優れた別の医師がチェックするしか現実的には方法はない。

 

PDCAサイクルの要であるCHECKのフェーズ。ここを上司やもっと優れた医者が行うしか方法が無いとするのであれば、放任プレーの職場だと、自分でとりあえず解決する、みたいな度胸は身につくが、それが本当に良い医療なのか吟味する能力が育たない。おまけに、自分で何でも解決出来る、と勘違いする機会が増えれば、自尊心は肥大する。そういった若手医師は、自分自身による自分自身へのチェックシステムがさらに発達しにくくなるという悪循環に陥る。

医療現場では、ちょっとぐらい適当なことしても、上司から怒られたり、患者家族が裁判を起こしたり、給料が下がったりするわけではない。何より「すごい医療」「自分の医療」のギャップに気付くことが出来るのは、自分で自分を疑い研鑽を続けるか、自分より優れた医師にツッコミを入れてもらう、という2パターンしか存在しない。自信はあるが、実際は駄目医者ってのはマジめんどいのだ。

上記の理由から、研修病院の良さは「時々チェックが入るが自主性重んじる>手取り足取り病院>完全放置プレイ病院」という順番になるだろうか。担当患者の数というのは自分のキャパシティにもかなり左右されるので、その辺りは自分との相談であろう。

プロフェッショナリズムとは何か

この件に関して、商社マン開司にも話を聞いてみた。

放任主義の職場と逐一チェックが入る職場のどちらが成長できるか。それは、圧倒的に放任主義の職場だろう。放任主義では自分で自分のアクション決めないといけない。それにより自分の行動の責任が明確になる。逐一チェックされてしまうと、自分で考える必要がないので、自主性が育たない。

会社での仕事には、どういう行動すれば上司に評価されるか、という意味での正解はある。その観点では、上司に逐一仕事内容を見てもらう効果はあると言える。だけど上司が「この事業やるぞ!」ていって進めたのに蚊ほども儲からずに終わる、ということもよくあることだ。

仕事の正解=市場に評価されること、とするならば、逐一チェックされれば必ず正解に近づくということにはならない。上司の言うことを聞いていれば必ずしも正しい仕事が出来るかというと、そんなことはないのだ。

おまけに、逐一チェックだとその上司がチェックして直してくれることに甘えてしまう。まあ、俺は大手商社という、スーパー逐一チェック職場に居るから、放任主義の職場に憧れているだけかもしれないが。

 

プロフェッショナリズムとは、クライアントからの依頼に応えるため、自主的にクソ努力することらしい。プロフェッショナルな仕事内容は、その定義上その道のプロでなければ仕事の良し悪しが判断できない。

その高い専門性の、表面からは見えない場所で、常に研鑽を行うこと。これをプロフェッショナリズムと呼ぶならば、医者も大いにプロフェショナリズムが求められる仕事といえるだろう。