若手医師と商社マンが最強を目指すブログ

平成生まれの帰国子女である3年目医師と4年目総合商社マンがそれぞれの最強への道を虎視眈々と狙う

自分の情熱が伝播することを一度でも体験すると「人を動かす快感」の虜になる

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医師のShima-Tatsuyaです。

僕は、他人の人生によく口出しをする。

初めてそれを行なったのは、高校生の頃。「難易度の高い大学に努力して挑戦するか、リスクの低い推薦入試でその辺のへぼい大学に入学するか」という選択に迫られていた同級生に、おせっかいをした時である。

僕は当時から最強になりたかった。また当時は想像力が乏しかったので、どんな人も理想を追ってチャレンジングな選択をするものだと考えていた。現実的には高校生の段階で既に自分の可能性に見切りをつけている人も多く、努力を放棄し小さくまとまろうとしている人もいた。僕はその存在を許せなかった。僕はそんな人をめざとく見つけ出し、「チャレンジすることのかっこよさ」をひたすら説いた。全ての人が僕の意見に納得することはなかったが、それでも一部の人達は反応を示した。

例えば、友人の一人は志望校のレベルを上げたら、落ちて浪人した。他の友人は海外に飛び出し、1年間帰ってこなかった。また別の男は僕の影響で大学を勝手に辞めた。僕の言葉だけが理由の全てではないだろうが、それでもきっかけの一つになった事は事実だろう。僕は「良いこと」をやってるつもりだった。他人の人生設計が僕の働きかけによる少し変わってしまうことに、大きな興奮を覚えたのだ。

 

大学生になったある日、「お前は一度リーダーを体験してみたほうがいい」と他大学に通っていた友人からアドバイスをもらった。彼曰く、Tatsuyaは横から口出しをするだけで、その責任を自分で負う覚悟が備わっていないとのことだった。その内容の妥当性はともかく、一度チャレンジしてみることにした。

その時はとある運動部に所属していたのだが、部長をやってみることにした。すると、部全体の運営方針、部員同士の意見衝突、個人のパフォーマンスとチーム全体のパフォーマンス向上をするための戦略といった、今までの人生で体験したことがない種類の問題に直面することになった。何より意外だったのが、僕自身がそう言った「各メンバーの問題、チームメンバー間の問題」を考えることが、全然嫌ではないという事実だ。

そして、この活動を通して、初めて「僕以外の人は、僕と同じ考え方や人生観を持っているわけではない」という当たり前の真実を知った。今までの他人への口出しは、自分の価値観を押し付けているだけだったのだ。そういった前提を踏まえた上で、チームメンバー各々の事情や希望を聴取し、それを調整し、チーム全体のレベルアップを目指す。その行為が面白かった

 

その後、僕は勉強会を立ち上げた。僕の出身大学は、比較的真面目な奴が多かったが、それでも、他の大学を飛び越えて最高を目指そうという機運はなかった。そこで周りの意志高い系の学生を口説き、コアメンバーとして発足させた。同学年だけでなく、他学年、最終的には他大学のメンバーも噂を聞きつけてはるばるやってきた。僕自身の情熱や想いが、他人に伝播し、人を動かしたのである

もちろん、痛い目にもたくさんあった。信頼されていた後輩から裏切られたときは、それこそ人生最大のダメージを受けた。彼女に振られたときの3倍ぐらい凹んだ。自分の情熱・思い・戦略がうまくいっていないことを端的に叩きつけられる衝撃は、並大抵ではなかった。

それでも、なんとかやり通せたのは、リーダーシップを発揮していると「俺がこの世に生を受けた価値があったわ・・・」という、えも言われぬ陶酔感をなんども味わうからだ。「憧れて見学に来ました」「もっと頑張ろうと思いました」「かっこいい先輩がいて幸せです」そんな言葉を聞かされると、身体の中心からパワーが爆発するのだ。これを一度でも味わうと、リーダーはやめられなくなる。教育の醍醐味というのも同じで、自分が教えた部下や後輩が、自分をきっかけとして行動が変わるのを一度でも見ると、身が入るようになる。そうか、俺はこのために生まれてきたのか・・・

 

そういった人を動かす喜びを体現してきた人生であったが、新社会人になってからはそうも行かなくなった。医学部を6年生で卒業し、自分自身の戦闘力が一気に極めて低い状態に放り込まれた。リーダーに必要なアルファマインドを、ひたすら削られる体験をしたのだ。社会の洗礼である。

そうして僕自身のウィルパワーというか、仕事に対する耐久力が極端に落ちてしまった。自身の手下がいない環境が多かったのだが、守るものがいないと、やり抜く力が落ちてしまうようなのだ。僕は自分が責任者として存在することで、自分のパフォーマンスを最大化できるタイプなのだ。一人で集中できるスペースを与えられ、コソコソ生きているだけではダメなのだ。

4年目になりつつある今は、そんな地獄の下っ端生活からも抜け出しつつある。苦い下っ端生活も、僕の視野を大きく広げる結果になった。学年が上がってきて、小さいながらも自分のチームを持つ機会がいただけている。これまでの巨大なビハインドを取り返すべく、今後は全力で頑張る所存だ。

 

自分はリーダーには向いていない、そういったことに興味がない、と決めつけている人もたくさんいるだろう。しかし、一つ確実に言えるのは「一回ぐらいチームのヘッドになる体験をしてみろ」ということだ。僕自身がそういったリーダーシップを発揮することが好きであるという兆候は、高校時代あたりからチラチラ見えてはいる。それでも、リーダーをすることのイメージと実際やってみたときの感覚は大きく異なる、というのが実感だ。

自分の適正を最終判断してしまうのは、一回やってみてからでも遅くはない。僕も自分でやってみるまでは自分がリーダーをやることが好きな人物だと、意識することなどなかったのだから。

 

その際に気をつけなくてはならないことがある。それは、リーダー業に本気で向き合う必要があるということだ。斜に構えて生半可にやるのではなく、少なくともその期間中は、目標に向かって貪欲に自分を追い込むことである。本気で取り組むと、なかなか他のメンバーがついてきてくれなかったり、リーダーの圧倒的孤独に荒涼とした気分に落ちることもあるだろう。そんな嵐のように過ぎ去る日々。それが終わった時に、自分がその体験を「とてもやりがいのある体験だった」と素直に思えるか。そこが明確であれば、何かしらの適正があると言えるだろう。

 

自分自身が一人で成長することに、どれほどの価値があるのか。

僕は、僕の影響力を無限に大きくし、この世に僕が確かに存在したという、爪痕を残したいのだ。