若手医師と商社マンが最強を目指すブログ

平成生まれの帰国子女である3年目医師と4年目総合商社マンがそれぞれの最強への道を虎視眈々と狙う

責任感を伴う「本番の戦い」だけが、真の成長につながるんだ

医師国家試験を合格し医師免許を取得すると、まずは初期研修医という身分になる。初期研修医は、医者ヒエラルキーの最下層に組み込まれるのだが、そこは腐っても医者だ。例えば検査の予定を入れたり、点滴や薬を注文(オーダー)することは、どれだけ医学的知識があっても、基本的には医師免許取得者しか法律上は行うことができない。なので、初期研修医の仕事量は意外なほど多い。

しかし、初期研修医は右も左も分からないカスなので、基本的に仕事内容は「医師免許さえあればバカでもできる」ような内容ばかりだ。この辺の話は以前記事に書いた。言われたことをひたすらこなし続ける。それが初期研修医に与えられた至上命令である。


しかし、あらゆるプロフェッショナルに共通することだが、プロとしての最初の登竜門は、「自分が独立してスキルを発揮し、仕事の結果に責任を持てること」にあるように思う。具体的には、外科医であれば自分の進んだ分野における標準的なオペを標準的なレベルでこなすこと。内科医であれば、入院・外来患者を、その場の医療資源に応じて自分一人でマネージメントすること。

自分の守備範囲において、その分野で期待される問題解決能力を自分一人で発揮すること。それこそが「プロフェッショナルの原点」であることに、異論はなかろう。

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さて、先に述べたように、初期研修医のトレーニングは文字通り奴隷業である。これをいくら続けていても、真のプロフェッショナルスキル「責任を持って問題解決に当たること」を身につけることはできない。

意識の高い研修医であれば、常に「自分がもしこの場に一人しかいなかったらどうしたか」というイメージを持ちながら日頃の仕事に取り組むことで、本番のシミュレーションを怠らないものだ。かくいう僕も1年目のヘタレの頃から、独立を夢見て日夜研鑽を怠らなかった。

そして、そういった意識高い系の若手の例に漏れず、1年目も終わりに差し掛かった頃には「いつでも独り立ちできるぜ」と鼻息荒く自惚れていた。直後、それが幻想であったことを思い知らされる事件が起こるのである。

 

1つ目は、初めて地方の病院で一人で当直した時の話である。研修医2年目の春であった。夜間休日に、「たった一人での病院勤務」を初めて行ったのである。先に結果だけ言ってしまうと、その時は患者さんが全然来ず、日夜通してものすごく暇だった。

僕のメインの研修先は、救急車が10台来たり、診療待ちが何人も溜まるような巨大な総合病院であった。なので患者数だけ比較すると「なんて楽な業務だ」と感じるかもしれない。しかし、その地方病院に勤務していた時は、心が落ち着くことはなかった。それはなぜか?

もし、小児の重症患者がきたらどうしよう」「もし、若いCPA(心肺停止)がきたら、ちゃんと蘇生できるだろうか」というようなイメージが拭えず、全く眠れなかったのだ。実際はそんなレアケースが地方の病院で発生することはそうそう無いのだが、どうしてもそういうナイトメアが振り払えない。結果的には、僕のキャパを大きく超えるイベントは何も起きなかったわけだが、その時体験した心細さだけは、鮮明に覚えている。

この体験を通して僕は、「情報を収集するだけ」と「責任をもって判断を下す」ことの間に、大きなギャップが存在することを痛感したのだ。

実際に、とある知り合いは「死にたい」ともらしていた中年のうつ病おじさんを、「特に今できることがないから」という理由で家に帰してしまい、帰宅2時間後に首を吊って心肺停止として救急搬送されてきたという衝撃の経験をしたそうだ。80−90のジジババは、元々身体のどこが悪いことも多いし、本人も家族も、いきなり死亡しても「まあおばあちゃん長生きだもんね」というノリで、あっけらかんとしているものだ。しかし働き盛りの40−50台の死は、家族にも、そしてなくなった本人にも、到底受け入れられるものでは無い。

 

さて話を戻そう。僕が、「本番の戦い」を意識したもう一つの例として、僕が2年目の後半にある専門内科をローテした時の経験を紹介したい。

そこの上司は、熱血漢だったがかなり人格的に問題のある人で、俺様スタイルを貫くオールドタイプであった。医者としての能力はすごいのだが、コミュニケーションに障害があり、他人との関わりが苦手で孤立していた。その科には比較的多くの重症患者が多く入院していおり、僕とその上司は日々刻々と変化する病状に合わせ、きめ細かい治療マネジメントを行なっていた。

ある日、事件が起こる。要の上司がインフルエンザに倒れたのである。入院するような重症の病人にインフルエンザをうつしてしまったら大事件なので、上司は自宅で療養することとなった。しかも運悪く、その時期は休暇シーズンであり、科全体として人手不足に陥っていた。インフルエンザ上司もインフルエンザ治癒後からのバリ島、というゴールデンコンボを決めていた。

僕は、その中で、重症患者の管理を一手に引き受けることになる。僕の判断が間違ったら、患者が重症化したり、本当に死んでしまう可能性がある。そのような状況に陥った時、やれることは2つ。逃げ出すか、ひたすら本気になりガムシャラに頑張るか、である。

持ちうる限りの知識を動員し、海外文献などの調べ物をしまくり、知り合いの他科の医者への相談も躊躇している場合ではない。毎晩夜遅くまで考え抜き、休日も気になって見に来るようになった。毎日冷や汗ダラダラであったが、この経験は僕を大きく成長させた。

 

さて、これら2つの経験は「最終責任が僕自身にある」という意味において、同様のイベントであると言えないか。このような状態にある時、僕自身は圧倒的な危機的感情を抱きつつ、どこかでそれを楽しんでいたのだ。これがマジになるということか。それを垣間見る貴重な経験だった。

 

「こうすれば良いと思うのですが、どうでしょうか?」と「責任を持って判断を下す」ということは、最終的に同じ結論に至るとしても、本人の本気度と経験値は大きく異なる。

トレーニングの最終目的は、良いプロフェッショナルとして独立することだ。その為に必要な物は「自分の判断基準」と「覚悟」。それを養うための研修である。自分だったら何を根拠に決断するか。その論理展開・判断基準を身につけることこそが肝要なのだ。そのために出来ることは、ひたすら修羅場をくぐる以外にはない。

逆に、間違った判断を積み重ねても変な自信だけついてしまいダメダメである。常に自分の限界を知りつつギリギリの戦いを続けることが、プロとしての成長を最大化するのだろう。

 

部下を教育をする立場の場合においてはどうだろうか。このシチュエーションでは、部下の目標設定のうまさに、上司・教育者としての能力が反映されるように思う。

アメリカでは、レジデント(卒後3年目。日本だと5年目相当)だけの判断で、患者の治療方針を決めることはルール上できない。必ず、研修を終えた指導医のチェックが入る。何かを判断するにしても、必ず伺いだてをしなければならないのだ。医療安全の意味では良いことなのだろうが、そのシステムが個人の成長に最もふさわしいかというと、それは疑問だ。

部下をギリギリの谷底まで追い込みながら、間違った仕事をさせない。そのスーパーバイズ/放置プレイ、のバランスに、成人教育のキモがあるように思えてならない。

 

君は修羅の道を進む覚悟はできているか?

俺はできている。